2020 年 7 月 25 日、長男が 18 歳になりました。先輩方は常々おっしゃっていましたね。
「子どもなんてあっという間に大きくなっちゃうよ」
マジであっという間でした。これで長男の子育ても一区切り。
これを契機に彼奴との 18 年の歩みを振り返ります。
2002年7月25日の奇跡の重さは
3,445 グラム。初めてこの腕に抱いた奇跡は、存外、重かった記憶があります。
まあるい頭をキレイに覆うほど生えそろった黒髪。
「私という存在はここから発生しました」
と言わんばかりにど真ん中に穿たれたつむじ。
蔓延るように生えた背中の産毛が、正中線に沿って特に濃いというだけで
「すわ、午年に生まれたこの赤子、坂本龍馬かキリストか。」
なんて、親バカを発揮していた当時の母にお伝えしたい。
あなたのお子さん、ことさら十人並みに育ちましたよ。
それはもう、平凡が服を着たみたいに。小憎らしいことに、母に肩パンしてきますよ。
そんな未来が待つとはつゆ知らず、当時の母はもうオキシトシン爆発。
長男にメロメロ。遺伝子プログラムに従順な霊長類ヒト化ホモサピエンスでした。
一方で、おのれを「ママ」だとか「お母さん」と自称することへの抵抗感。
となると、わが子に呼びかける言葉が見つからない。言葉を発せず病室に赤子とふたりきりという虚無。
――203 号室、完全に沈黙。――
それが今では、蚊と蝿がダンスしているのかってほどよく喋る者どもが集う家庭になりました。
あのときの気詰まりな静寂の記憶がまるで嘘のようです。
あの日は雷雨で、怖くて、痛くて、泣けた
長男が生まれた日の夜は、ものすごい雷雨に見舞われました。
窓の外にはつんざくような稲光。産院をまるっと洗車機に入れたのかってくらいの雨。
母は消灯を過ぎてなお、一向に眠れずにいました。体は痛くてクタクタでも、目はランランで頭は冴えた状態。
胎動を感じられなくなったからっぽのお腹に意識が向くと、言いしれぬ不安に襲われました。
産後のホルモンに加え、激しい天候が影響したのでしょう。
すっかり不穏になり、慟哭。(←ココだけの話ね)
ともあれ、あのとき母の腹にすっぽり収まっていた小さな奇跡は、今やスーパーライト級。
あと幾分かでウェルター級に届くかというところまでせまっています。
人間ってすごい。18 年ってすごい。
長男の御業なくして弟妹在らず
ノー長男ノーライフ。わが家の標語はこれに尽きます。
仕事にくたびれた母に、冷えたビールをそっと手渡してくれた 4 歳の長男。
園始まって以来の仲良し兄妹と目されるほど、あんじの保育園生活を支え続けた 4 ~ 6 歳の長男。
痰の吸引を覚える、とあんじのケアを買って出てくれた 8 歳の長男。
寝泊まりしていた弟の産院から朝、バスに乗り、自宅でひとり身支度を整えて通学した 9 歳の長男。
これについては、産院でも伝説の少年として語り継がれて然るべき偉業ではないかと思います。
手前味噌ではありますが、この手のエピソードは枚挙にいとまがありません。
杉山家にとって長男とは、絶対的なヒーロー、紛れもない大黒柱なのです。
そうそう、母が落ち込んでいたときにペディキュアを塗ってくれたことも。
おしゃれは気分がアガると踏んだのでしょう。きめ細やかな心配りも長男の魅力です。
自身は一向におしゃれに目覚める気配ナシですが。
どう考えても後悔ばかりの18年
母の育児を振り返ると、大半を占めるのは後悔です。憂いが先立つばかりでなんと充足感のないことよ。
のんきなようで繊細、とぼけているようで核心をつき、世間知らずのようでいて苦労人。
うちの長男は、そんな青年に育ちました。長男という肩書の重みはヘビー級だったにちがいありません。
ロクに遊んでやれず、子どもらしいワガママもさせてやれず、頼ってばかりでごめん。
長男は今、進路を決める段になり、未来の展望が描けずにいるようです。
選択肢のない人生を歩んできた故かもしれません。
夢すら見れない環境であった証左とも言えましょうか。母として、心苦しいことこの上なしです。
総じて長男には申し訳なさばかりが立つ、後悔だらけの 18 年。
「我が育児に一片の悔いなし」、の真逆をここに宣言します。
2020年上半期の歩みを振り返る
先々週には三者面談も終わり、長男は現在、進路に向かってまっしぐら。
2 年前には不安と億劫さしかなかった毎日のお弁当作りも、残すところ半年もないのかと思うと感慨深いものです。
そうだ、最後の年だし、お弁当を記録しておこうではないか。
ふと思い立ち、お弁当アルバムを撮り始めたのは 2 月のこと。
ところがその後、すぐに休校、休校明けからはたたみかけるようにテスト期間、三者面談期間などで半日日課続き。
7 月現在、いまだお弁当アルバムはうっすいままです。
まあ、お弁当の記録など取るに足りません。それよりも、18 歳になった長男を記録せねばと考えております。
なかなか撮らせてくれないんですよね、写真。きょうの写真は明日の笑いを生み出すタネ。
ゆえに今夜もシャッターチャンスを狙います。
生まれてきてくれて、ありがとう
長男の成長を見届けてきた 18 年間。人生の半分をともに過ごしてきました。
長男には感謝、しかありません。(本人にはよう言わんけど。)
ヒトとしては半人前、親としては笑えるくらい未熟な母の元で、よくもまあ大きくなってくれたものです。
母が反面教師となっていることは間違いありません。しからば明るい道へと導かれてくことでしょう。
だから心配はしていません。ただ、そろそろ内弁慶もほどほどに。
とだけは言っておきましょう。あと肩パンもやめてくれ。
長男と一緒に暮らせる日々がいつまでなのかはわかりません。
ただ、独り立ちの日に向けてのカウントダウンは確実に始まっています。
「一生スネにかじりついてやる」と宣言した長男に慄いたあの日も、もはや遠い思い出です。
お母ちゃんのスネ、もう出汁すら残ってないで。
さて、来年の 7 月 25 日はどう変わっているだろう。
とりあえず、18 歳の誕生日おめでとう。