2018年5月20日、小さな友人の魂が、愛らしいその肉体を離れました。最期に触れたのは、冷たくかたくなった頬。訃報を受けてかけつけた、23日の夜でした。
立ち込めるお香のにおいやしぼんだパパとママの姿に現実を認め、小さな棺を前にしたとき、礼儀も作法も忘れてすぐさま手を伸ばしました。
ていねいに、額と頬のまるみをなぞるように手のひらをすべらせ、これまでに見たことがないくらい凛々しい表情をした彼女にむかって、「お疲れさま」と告げました。
闘病を重ねた小さな体に触れ、がんばったんだね、とつぶやくと、ママは泣き崩れて言いました。「がんばった。がんばったんだよ」と。
なかなかその場から離れがたく、別れを告げる時間をかけすぎてしまってご家族にご迷惑をかけたこと、今考えるとほんとうに申し訳ない。
ママに気丈な振る舞いを続けさせてしまったことにも、後悔。もっと頭を冷やしてから弔問にうかがえばよかった。
急なことで、ご家族の心中は計り知れない。悲嘆にくれるなか、最期にあの子に会わせてくれてありがとう。ほんとうに無作法でごめん。
あの子が少しずつ大きくなって、だんだんと肉付きもよくなって、お姉ちゃんになって、友達と触れ合える環境ができて…その成長過程や環境の変化を少し離れたところから見届けてこられた。
こどもを長く見守る経験ができるって、年を取る醍醐味だね。時間はかかっても、あの子の話に花を咲かせるときが来るのを待ってるよ。
文字にすると実感する。そうか。よく眠り、温かく、やわらかだったあの子。
もう触れることはできないんだ。