訪問教育とスクーリングからの卒業。呼吸器っ子、通学への道

呼吸器っ子あんじは、学校がダイスキ。訪問授業ではおおよそマジメに、ほぼマイペースに授業に取り組んでいます。

そんなあんじに大ニュース。あんじはついに、ついに、…通学生になります!

呼吸器っ子の通学が大ニュースなワケ

茨城県では、人工呼吸器を装着した子はほぼ自動的に訪問教育を受けることになります。うちのあんじも例にもれず、現在は訪問教育生です。

たまのスクーリング(学校での授業)で、通学生の同級生やほかの訪問教育生と交流を深めます。

地域の普通小学校や中学校、高校との交流会は楽しみなイベントのひとつ。高校生たちが催してくれた地域交流会では、スライムづくりを体験。

あんじが作った…もとい、母が作らされたスライムをあんじの頭に乗せたところ…

なかなか落ちないっ(゚∀゚)

小6でようやくスタートした学生生活

小学校に入学してからここまで、入退院が多すぎてスクーリングなんてなかなかできなかったあんじ。

ところがどっこい、6 年生になってからというもの、人が変わったように元気です。

それを受け、来年度からあんじはついに念願の通学生になります!

訪問生から通学生になるための試練

通学トレーニングと称して、最近ではあんじさん、終日スクーリングを連日行うことも。

そんな日はあんじさん、みんなと一緒に給食をいただいております。

めっちゃかぶりつくやん(゜-゜)同級生と味わう食事は格別なようで、家では絶対に口にしないパンもこうしてガブリ。

まさに集団効果。こういった様子を見ると、呼吸器を着けている子だって通学の選択肢はあってしかるべきだなと改めて感じます。

しかし、教育委員会や学校に通学受け入れ許可をもらうまでの道のりは一筋縄ではいきませんでした。

呼吸器っ子の通学の陰に待機保護者の存在

あんじのような濃厚な医療的ケアを必要とする生徒が通学となると、介助者、つまり保護者の常時付き添いが必須です

いわゆる待機保護者。訪問教育を選べば保護者は家に拘束され、通学になれば学校の教室に拘束されるってわけです。

オーマイガー。この状況は茨城県に限ったことではないようで、他県でも同様のニュースをたびたび目にするようになりました。

スクールナースは医療的ケアができない?

なぜ呼吸器っ子の通学には保護者の付き添いが必須なのか。それは、学校の医療的ケアの配備が十分ではないからです。

特別支援学校にはスクールナースが配置されています。しかし可能な医療的ケアは限定的です。

規律に則ると万が一の事態に対応できない可能性もあるのだとか。スクールナースはあくまで看護「職員」。

学校側としては、看護「師」とはちがうという認識なのです。だから人工呼吸器のような、繊細な医療機器を使用する生徒の命の責任は持てない。

したがってあんじのケースでは、親が医療的ケアの一切を管理することを原則に通学許可を得た次第です。

待機保護者の要不要は医療的ケアの内容次第

人工呼吸器を着けていない場合でも、頻回な医療的ケアや、スクールナースの介入が容認されていないケアが必要な生徒には、保護者の付き添いが必要になります。

しかし刻々と変化する子供と医療の情勢をおもんぱかれば、現状の学校ルールが今後も通用するわけがないことは明白です。

2018 年現在、日本の医療的ケア児の数はおよそ 17,000 人。ここ 10 年の間で 2 倍ほど増えました。

なかでも在宅用人工呼吸器を利用している医療的ケア児は、2016 年時で 3,000 人超え。

この 10 年でなんと 12 倍にも増加しています。わぁお。すなわち、今後は訪問教育ないし通学時待機によって拘束される保護者がわんさと増えるわけです。

なぜどんどん増える?医療的ケア児

医療的ケア児に大きな増加がみられる理由は大きくふたつあります。

  • 医療・医学の進歩
  • 在宅医療機器の開発

まず新生児医療の発展によって、昔なら救えなかった命が救えるようになりました。

世界屈指と言われる日本の新生児医療のレベルは、268グラムという超低体重で生まれながらも無事に退院できた赤ちゃん が証明するところです。

そして在宅医療機器の開発が進んだことで、重い障害を抱える子供でも在宅生活が送れるようになりました。

特に人工呼吸器の進化  なんて、目を見張るものがありますよ。医療の輝かしい進歩の裏で、医療的ケア児はこの先も増加の一途をたどるでしょう。

【実録】医療的ケア児が直面する就学の問題

救いあげられた命は家族の喜びとなる一方で、図らずもさまざまな課題を与えます。今回のテーマでいえば、就学・進学の課題です。

あんじが小学校に入学する前には、まず教育委員会での面談がありました。あのときの担当者の礼を欠いた態度を思い出すと、今でも沸々とこみあげてくるものがあります。

あんじは小学校に入学する前の年、5 歳のときに気管切開をしました。つまり小学校入学時点にはすでに医療的ケア児だったのです。

のどにカニューレを装着し、酸素ボンベを携えた彼女を見るなり、面談担当者は通学許可を渋りました。

医療的ケア児は学校に通う意味がない?

当然、あんじは通学するものと思っていた母は唖然としました。担当者から「この子は就学できません」と引導を渡されたと思ったからです。

担当者は訪問教育を進めただけだったんですけどね。お恥ずかしながら、当時は訪問教育という言葉すら知らなかったもので。

「医療的ケア児は訪問教育をするもの」としたたかに言い詰められたような記憶があります。

「医療的ケア」なんて言葉も、当時はまったく使用されていませんでしたけどね。思えばあの体験が、初めて社会に拒絶されたと感じた瞬間でした。

まあその後、なんだかんだで小学校に通学することが決まったのですが。

待機保護者に対する違憲の疑いを見過ごしちゃアカン

リスクマネジメントのために保護者を駆り出す?通学させたいなら、子供が授業を受けるための環境を作るのは親の仕事?

これって違憲ではないでしょうか。日本国憲法第26条にはこう示されています。

第二十六条【教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償】
1 すべて国民は、法律(教育基本法第三条第二項)の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

引用元:日本国憲法

はたまた日本国憲法第13条によれば、

第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

引用元:日本国憲法

斯様かようにありますれば。とどのつまり、医療的ケア児が教育を受けられるのは当然。にもかかわらず、子供が教育を受ける権利を行使するために保護者が自由を奪われるとは如何いかに。

憲法にもすがる、もとい藁にもすがる思いで世間へ送る、母最後の抵抗の一説です。くどくどと申しましたが、ひとことで言えば

あんじ母
学校待機いやだ。

娘念願の通学が叶ったのは素直にうれしい

ともあれ、願いはひとつ。医療的ケア児の教育環境の整備、それに伴う教員やスクールナースの拡充をぜひ進めていただきたい所存。

これを「高望み」とか言うような社会であってほしくないものです。進め改革。

さしあたりまして今は、あんじとスクールライフを共にしてゆく覚悟の母でございます。

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見ないで… |ω·`)