気管切開の決断。それぞれの親の思い

こんばんは(・ω・)

このところ、「お家帰りたぁい(≧Д≦)」が口癖のあんじさんの病院での出来事を書きたいと思います。

前置きが長くなりますが、少々お付き合いください。

気管切開。

いきなり「しなければならない」と言われて「はい、お願いします」とすんなり答えられるヒトなどいないだろうと母は思います。

しかし、気管切開をせざるを得ない状況において、患者はどのような状態かというと、恐らく挿管されて人工呼吸器に繋がれていることでしょう。

肉親からすれば、膝から崩れ落ちそうなくらい壮絶な光景です。

挿管は医療ドラマにもよく出てきたりするので、聞き慣れたワードだと思いますが、実際、ドラマで見るのと現場で目にするのでは、説明し難い感覚に襲われます。

ベッドに横たわる小さな体。

その小さな口から見たこともない器具が挿入され、むせているように見えても、咳き込む音すら聞こえてはきません。

確かに見た目は泣きじゃくっていて、涙が流れていても、その声は聞こえてこないのです。

声帯を通り越して口から気管まで管を通しているせいなのですが、それを説明されて腑に落ちるまでは、あんじに触れるのに、まるで防音ガラス越しに面会しているような、妙な感覚に怖さを感じました。

誰でものど奥をつつくと「おえっ」となりますが、挿管はまさにその状態が続くわけです。

苦しいです。

つらいです。

痛みもあるかもしれません。

でも声は出ない。

それでも必死に口を動かして、頑張ってあんじが母に伝えた言葉は「ママ、こわい…」でした。

管を口の端にテープで固定していたせいでわかりにくかったのですが、母にはそう読み取れました。

アイセル病の子は遅かれ早かれこのような道を辿ることを、以前から主治医の先生に告げられてはいました。

気管に狭窄があり、呼吸障害が起こりやすいこと。

代謝されなかった物質が溜まり、上気道をふさいでしまうかもしれないこと。

“もしも”が起きないうちに気管切開をしたほうがいいかもしれないとの提案もありました。

しかし、半ばそんな時がくることなど信じていなかったもので、「こんなに歌が好きなあんじの声をなんの問題もないのに奪うなんてとんでもない!」と思ってました。

そして”もしも”が起きて初めて、アイセル病が牙を剥き始めたと、恐ろしくなりました。

挿管中のあんじの、声にならない言葉を受け、一片の迷いもなく気管切開の手術をお願いすることができました。

これでつらい挿管が終わる。

これで呼吸が苦しくなる心配もなくなる。

実際はそんなに簡単なことではなかったのですが、その話はまたの機会に…(^-^;

さて、今回の主題に関わる話をここまで語らせていただきました。

ようやく前置き終了です。

病院で、あるお母さんに出会いました。

21才の娘さんが、5年ぶりに喘息で一般病棟に入院したとのこと。

娘さんは、産まれたときは何の問題もなく、成長と共に障害が発覚し、精神遅滞・発育不全で、身長は110センチほどしかありません。

病名はつかず、原因は不明だそうです。

あんじは今回、初めは一般病棟に入院し、すぐにICUに移ったのですが、その親子とは一般病棟のほうで同室になって知り合いました。

その後、娘さんもICUに移ったとは知らずに、今日たまたま廊下でお母さんと再会したのです。

挿管して12日目だと聞き、あんじのときのことが蘇ってゾッとしました。

気管切開を迫られていること、挿管している姿が可哀想で耐え難いということ、そんな中で、小さい体で気管切開を受けたあんじが頑張っている姿に、決断を後押ししてもらえそうだということを話してくれました。

「あの子がラクになるなら、あたしは決断するだけ。」

そう言った彼女に、昨年の自分の姿が重なりました。

親はみんな、子供のために決断のときを迫られることがままあります。

その決断が最良だったのかどうかは、わからないことも多いのですが。

「こんなふうに言うといやな感じに聞こえるかもしれないけど、気管切開しているあんちゃんを知っていたから、受け入れることができたのよ。

周りにそういう子がいなかったら、気管切開をしたらどういう生活になるのか、不安でワケわからなくて今みたいに考えられたか…」

彼女はそうも言っていました。

あんじは頑張っています。

声は出なくても、歌を歌うことは今も大好きです。

不自由な体でも、楽しくダンスをしています。

そんなあんじの姿が勇気を与えられたのであれば、とても素敵なことです。

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