ついに医療的ケア児およびその家族の窮状を汲み取ってもらえる時代が到来しました!
医療的ケアが必要なこどもはもとより、人工呼吸器を使用するこどもも通学が許可されることが有識者会議で決定されたのです!(´;ω;`)
人工呼吸器を使用する我が家の医療的ケア児・あんじが、すでに通学を許可されているにもかかわらず、なにを今さらことさらに騒ぎ立てているんだと思う方もいらっしゃることでしょう。
ところが騒がずにはいられないんですよ。なにせ今回は、【親の待機なしで通学が可能になる】決定がなされたのですから!!
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医ケア児の「親同伴問題」解決に向け、有識者会議から画期的な提案が
子育て世代の日本に対する不満は、言うまでもありません。少子高齢化を問題視することはや何年目だよ?って現状にあって、日本が講じてきた手段は国民にとっていまいち響くものがない。
そこにきて安倍総理の「幼児教育無償化を約束します!」とかいうドヤ顔宣言。この施策に「安倍総理バンザイ!」って素直にたたえたご家庭は、はたしていかほどあったのでしょうか?
正直、ピントがずれているとしか言いようがない。その前に待機児童の受け入れ先を増やせよっていう声は当然あがったし、消費増税したうえで幼児教育無償化から得られる効果って何?っていうシンプルな疑問。
親の心情としては、こどもの預け先が社会にあるなら働いて納税することはいとわないし、こどもを産んで職場復帰するまでの道のりに待機という障壁がないのであれば、教育費だって苦にならない。
同様に医療的ケア児の受け入れ先が社会に用意されているとあれば、医療的ケア児のみならず、その家族の社会参加機会が増えることになる。
すなわち医療的ケア児と常に行動を共にすることを強いられてきた保護者に自由時間ができることで、個人消費喚起や労働力の増加にもつながる。経済効果アップにも期待できますよね。
現在の日本における医療的ケア児の人口は約1.7万人。しかもこの10年での増加は目を見張るほどの勢い。でもこれを高度医療技術が進歩した【弊害】だなんて言ってほしくない。
救える命が増えたことは人類の喜びであってほしいし、医療従事者の向上心につながる結果にもなってほしい。だからこそ医療的ケア児の社会の受け皿を増やすことが急務なのです。
救われた命を家族が重荷に感じないためにも、救った命で医療従事者が責められないためにも。なにより、こどもがどんな状態で生まれても、生きていてくれる幸せを家族が感じるためにも。
健常じゃなくても社会に受け入れられる世の中でなくてはならないと思うのです。こどもを生んだら親が責任とるのが当然だろ?みたいな世の中では、産むのが怖くてしゃーないですよ。
産める人間は限られていますが、育てるのは社会全体で取り組めるのではないでしょうか。たとえば、こうのとりのゆりかごに賛否両論があるのはまさに世相が表れていると感じます。
「育てられないなら産むなよ」っていう考え方や、捨てられた子はかわいそうだという刷り込みが、結果的に子育て世代に無責任なプレッシャーをかけ、虐待という悲しい事件を生む要因にもなるのです。
…って、なんか主題から離れていますかね(^^;
最近、ルポルタージュを読みふけっていることやサバイバーである友人と語り合ったせいもあり、さまざまな思いがめぐってつらつらと書き綴ってしまいました。
↓↓↓最近読んだルポです↓↓↓
これらを読んだあかつきには、ぜひみなさんも複雑な思いに駆られながら梅雨を迎えてください(笑)
国とは人です。人がいなければ国は成り立たないのです。ならば、未来を担うこどもたちが成長する過程を血縁の有無を問わず、みんなが手を貸していくのが当然なのではないかと思います。
「日本死ね」の思いは待機児童問題だけにあらず。高齢者や障がい者、医療的ケア児にかかわる人々にも共通です。(あくまで私感ですが)
幼児教育無償化とか、ホント誰得だかわからない施策はお呼びでないです。現場を見るということをしていないお役人仕事だなと言わざるを得ません。
まあそれはともかく、今回は文科省と厚労省の垣根に翻弄されてきた医療的ケア児が、保護者の犠牲を払わずに健全な教育を受ける権利を得られたことに万歳!のひとことです。
ここに至るまでご尽力くださいました森下平(前)特別支援教育企画官には、心より御礼申し上げます!各自治体において実際にこの恩恵に預かるまではまだハードルがありそうですが、そこは各地で希望が叶うよう努めるしかありません。
賽は投げられた。ゆえに投げるな、さじだけは!
(うまいこと言いたかっただけ(゜-゜))