人工呼吸器の小学生あんじ!卒業までのあゆみ

人工呼吸器の小学生あんじ!卒業までのあゆみ

2018年3月13日、あんじは小学校を卒業します!

 

 

このめでたき節目に、母、あんじの半生を振り返ってみたく存じます(・∀・)

 

 

 

2005年9月15日、茨城県内某所にて産声をあげた2,530gの女児・あんじ。

 

やや小さめだったものの、新生児マス・スクリーニング検査では何も異常なし。

 

あんじは脊椎に側弯が認められたり、母乳の飲みが少なかったりはしたものの、母はまだ3歳だった長男が気がかりで、3日~4日で母子ともに退院。

 

しかしその後、あんじの体重はなかなか増えず、数か月たっても心身の成長が見受けられず、首は座れども、生後6ヶ月になっても寝返りすらできない赤ちゃんのまま。

 

成長が遅滞している原因は不明。

 

ってことはちゃんと栄養を与えていれば問題なく成長するはずだってことで、そのうち、なんと母は虐待を疑われるように…(´ε`;)

 

そんな中、あんじは肺炎を患い、初めて入院。

 

これを機に、しつこいくらいに肺炎を繰り返すようになります。(入退院はこの12年間で数えきれないほど。)

 

病院と自宅を行き来する生活が続く中、3歳になった頃、ようやく先天性代謝異常であることが判明。

 

当時の主治医より、疾患名はムコリピドーシスⅡ型、またの名をアイセル病(I-cell病)と告げられます。

 

治療方法も特効薬もなし。

 

できることは対症療法のみ。

 

病名がわかれば何かしらの治療ができると思っていた母にとって、絶望的な告知でした。

 

その後も慢性的な気管支炎や肺炎に苦しむ中、幾たびかの入院治療中に、あんじは呼吸不全におちいります。

 

入院していた病院の主治医から、もし挿管が必要になれば、この病院の設備や人員では対応が困難になると言われ、急遽ひたちなか市からつくば市へ病院間搬送されることに。

 

しかしこのときは挿管を免れ、酸素テントでの治療により、あんじの症状は改善。

 

退院後は、現在もお世話になっている茨城県立こども病院がかかりつけになります。

 

予後が心配されたあんじですが、4歳の誕生日を迎えた2009年から約1年間は、生まれて初めて入院することなく無事に過ごせました。

 

2010年には5歳になり、穏やかな日々を過ごしていたのですが、明くる2011年3月11日。

 

東日本大震災を経験します。

 

このときの様子について触れた記事はこちら→東日本大震災後の気管切開、そしてCVポート埋め込みへ

 

幸い、我が家は大きな被害には見舞われませんでした。

 

しかし未曽有の大災害の余波は消えないまでも、ようやく物資の流通が回復し始めた4月の終わりごろのこと。

 

あんじは約1年ぶりに肺炎にかかり、久々に入院します。

 

それからほどなくして、ここまでの約1年は嵐の前の静けさだったのだと知るのです。

 

あんじはこの入院治療中、再び呼吸不全に。

 

ついに挿管する事態になります。

 

あんじが呼吸不全におちいったのは夜間で、隣接する総合病院でたまたま外科医だか麻酔科医だかが当直だったため、運よく挿管できたそうです。

 

しかしベテランの医師でも挿管が難しかったそうで、今後、同様のことがあったときに再挿管できる望みは薄いと告げられます。

 

挿管したあんじの姿を見続けるのもつらく、医師からの言葉もあり、母はついにあんじの気管切開を決断します。

 

このとき、あんじは小学校入学を翌年に控えていました。

 

気管切開の決断。それぞれの親の思い

 

 

家族を呼ぶかわいい声や楽しそうな歌声。

 

医療的ケアに伴う時間や行動の制限。

 

失うものは大きいものの、あんじの日常の呼吸が楽になり、呼吸不全を繰り返す不安がなくなるならと決断したのを覚えています。

 

しかし術後、想定外のバッキングが起こり、あんじに合うカニューレが見つかって体が慣れるまでに、およそ1か月を要しました。

 

あんじがもう苦しまなくて済むならと悩みぬいた上で決断した気管切開だっただけに、バッキングの苦痛でろくに眠れずにいるあんじを見て、胸が引き裂かれる思いでした…。

 

ようやくバッキングが解消した後、待っていたのは複数回に上る肉芽のレーザー焼灼。

 

挿管とカニューレの影響による肉芽が気管内にはびこっていたためです。

 

アイセル病患者の特性なのか、肉芽がとにかくできやすい体質なようで、外科医も驚くくらいでした。

 

幾度かの肉芽処理を終え、約4か月にわたる入院・手術を経て、あんじはようやく自宅に帰還!

 

親子ともども医療的ケア(痰の吸引)にも徐々に慣れ、何度か入院はしましたが小学校入学に向けて準備を整えていました。

 

しかし3月から4月の季節の変わり目は、呼吸器疾患を持つ者にとっては鬼門。

 

案の定、あんじは小学校の入学式に出席できませんでした。

 

さらにこの年の入院中に3回目の呼吸不全を起こし、ついに人工呼吸器が必要になったのです。

 

無論、学校への通学なんて夢のまた夢。

 

1年生時の出席日数は10日ほどでした。

 

2年生に上がると在宅での授業を余儀なくされ、訪問教育に切り替わります。

 

この年はこれまでで最も入退院が頻回になり、在宅でいることが難しかったため、生活の拠点を病院に移すことに。

 

それに伴い、学籍も院内学級に移しました。

 

入院中のベッドサイドでの訪問授業。

 

あんじは気分屋だから、先生がたに苦労をかけたっけな…。(゜-゜)

 

病院内の分校の教室で仲間たちと受けた授業は数えるほどだけど、参加できるときには、あんじはいつも楽しみにしてました。

 

でもあんじは気分屋だから(以下同文)

 

思えば、在宅で過ごせることがめっきり少なくなったのは小学生になってからだったんだなぁ。

 

おかげで生まれるのを心待ちにしていた弟のかわいい盛り、赤ちゃん期はほとんど見逃しちゃって。

 

あんじ、無念!(゜-゜)

 

そして人工呼吸器が必須になった8歳。

 

抗生剤治療が欠かせなくなってきて、苦痛なく点滴ルートが確保できるようにとCVポートを作った9歳。

 

在宅生活をあきらめて生活拠点を病院に置こうと主治医から話をされたのはこの頃だったっけな。

 

そんな状況にもかかわらず、家族で楽しい思い出を作りたいからとさまざまなイベントを敢行したね。

 

これまた病院のスタッフたちには苦労をかけたね。

 

いつも尻拭いをさせてスミマセンっした!

 

_(._.)_(陳謝。)

 

あんじが人工呼吸器にも入院ありきの生活にも慣れてきた頃、着々とアイセル病が進行していたことを思い知ります。

 

度重なる肺炎でボロボロになった肺。

 

肥大した心臓。

 

ついには敗血病に倒れ、命の危機を乗り越えた9歳のクリスマス。

 

世界が終わる気がした日

 

紆余曲折を経て、今に至ります。

 

そして現在!あんじはとっても元気です(・∀・)

 

風邪ひとつひかないもんだから、なんの治療も必要としなくなってすでに1年が経過しています。

 

まあ抗生剤は服用し続けているんだけど(;’∀’)

 

そして最初に述べたとおり、本日、あんじは小学校を卒業します!

 

ここまであんじを見守り続けてきてくれたみなみなさまに感謝をこめて、母より、心から御礼申し上げます。

 

本当に、ありがとうございました!(´;ω;`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まだまだブログは続くよどこまでも~(゚∀゚))

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