子供に反抗期なんてない。子供の反抗的な態度は自立期と捉えよ

「年頃だから」「反抗期だから」。

こういった子育てにつきものの親のセリフを覆す、金言を賜りました。

子育てに勤しむあなたに、ぜひ共有させていただきたく記してまいります。

育児問答の終着駅ともいえる、ありがたきそのお言葉を。

反抗期の正体を見誤ってはいけないよ

T 先生
子供に”反抗”期なんてない。それは自立期の間違いなんだよ。

あんじの学校の T 先生がおっしゃった言葉です。母、目が覚める思い。

あんじ母
目から鱗とはまさにこのこと…

そもそも「反抗期」って、子供の言動に手を焼く大人が使う言葉なんですよね。

想像するに、親を絶対的な正義とした時代に生まれた言葉なのではないでしょうか。

子供が自分の意見を主張するようになり、親の意にそぐわない行動をとる。

これが子供が自立するための通過儀礼だというなら、親は相対せざるを得ないでしょう。

しかし子供に正論を突き付けられてしまった親の姿なんていうのは、目も当てられません。

だから「親に反抗するのか」と抑えつけて、子供をあしらうべくていを整える。

つまり「反抗期」とは、大人にとって都合がよいように生まれた言葉なのかもしれません。

子供が意見を主張してからが自立のはじまり

T 先生から金言を賜ってからその後、母は考えました。

日々、母がさいなまれてきたあんじの言動は「反抗」ではなかったのだということを。

子供を個として認める親の度量

おそらくは、母に同意できない、同調できないという意思表示。

大人の理不尽さへの指摘。

すなわち、あんじが「母の子供」ではなく「12歳のあんじ」という社会での地位を確立した証だったのです。

「子供のわがまま」だなんてとんでもない。

好きなことややりたいこと、気になることがあふれてあふれて、そのすべてを周囲に伝えていたに過ぎなかったのです。

親の代から続く負の連鎖を断ち切れ

T 先生
子供は「怒ってばっかり」いるわけじゃなくて、「エネルギーがあり余っている」んだよ。

T 先生の言葉の数々によって、母の胸にあふれかえっていた悶々は、すべてストンと腑に落ちました。

あんじに向かっていたトゲトゲ、ゴツゴツしたロッキーロードな母の心は、見事に打ち砕かれたのです。

なるほど。思い返せば、自分も経験していました。

自分の意見や気持ちをぶつけても、それを「反抗期」だと揶揄し、向き合ってくれない親への嫌悪。

意見を反抗と捉えられてしまうことに、いつもやるせない思いでした。

そんな苦い感覚を覚えているにもかかわらず、母は同じ轍をあんじになぞらせていたわけです。

なんとお恥ずかしい。

子供を制御したがる親はもはやホラー

嘆くべきは、わが子を自分の所有物だと考える親は多く存在することです。

思い違いも甚だしい。子供だってひとりの人間で、自分の意志で生きています。

極論をいえば、親子っていったって物理的には他人です。

考え方も好きになるものも、親子だったら当然同じなんてことはございません。

悲喜こもごもを一様に味わうことだってあり得ません。

近しい人間を「自分とは違う個人」として認めたときが子供の自立期。

同時に親の自立期でもあるのだと、今回、母は考えさせられました。

子供のチャレンジをどこまで許容する?

あんじの自立心を裏付けるこちらの動画  なかなかのチャレンジです。

自分の面倒は自分でみれるってか。そうはいっても、気管内吸引は立派な医療行為。

危険も伴いましょう。しかし、母は腹を据えてわが子を見守るのみです。

子供のチャレンジに親がビビって、やる気を摘みとってしまうのは野暮ってもんじゃあないですか。

一般的に、子の巣立ちよりも親の子離れの方が困難だといわれております。

おそらく、障がい児を育てる親にとってはなおのこと。

思うに、自立期とは親の劣勢が確定した戦なのです。

親の武器なんて度胸と覚悟しかありません。

子供の反発を受け流さないで受け止める

T 先生
いわゆる反抗期とは、反抗にあらず、自立期である。

あんじの反抗的な態度に悩むことはこれからも多々あることでしょう。

しかしそんなときには T 先生の説法(?)を胸に、

あんじ母
あんじの自立、天晴あっぱれなり。

と思うよう努めたいと思います。あんじの自立を喜ぶべく、心を切り替える所存です。

そこなあなた。T 先生の言葉が響いているでしょうか。

この記録が、子育てのイライラをのらりくらりとやり過ごすためのあなたの手立てになれば幸いです。

現場からは以上です。しからば、ごめん。

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見ないで… |ω·`)