笑顔のあんじ

あんじを見守ってくださってありがとうございました。

笑顔のあんじ

2021年9月18日午前6時5分。あんじがこの世を去りました。

随分と久々の更新が訃報となるとは、夢にも思いませんでした。

仏教の四十九日、神教の五十日に倣い、無宗教ながら忌明けを以ってあんじの最期をここに記す決心をいたしました次第です。

杉山あんじ、享年16歳。痛いこと、苦しいことの多い16年間だったと思います。

それなのに、いつだって笑顔で、いつだって小憎らしく、いつだって食いしん坊な娘でした。

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9月に入ってからというもの、あんじは頻繁に呼吸苦を訴えるようになり、苦しくて眠れない日々が続いておりました。

楽な姿勢すら保てずにいたあんじは、呼吸器では安定した呼吸が維持できず、バギングありきの生活を送っていました。

ときに数時間もバギングし続ける状況だったため、車で移動させるのも不憫で、受診もはばかられました。

病院に対して不信感が募っていたことも受診をためらう理由になっていたと思います。

その後、結局あんじは9月12日に入院し、特段の加療もなく15日に退院。ところがその数時間後、またもや救急搬送する事態となりました。

退院、再入院日となった9月15日はあんじの16歳の誕生日。救急搬送される直前、苦しみに耐えながら、帰宅したばかりの兄弟たちに堰を切ったかのようにたくさん話しかけていた姿が忘れられません。

まさかこれが家族4人で笑って過ごした最後の記憶となってしまうだなんて、思いもしませんでした。

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9月17日の朝、夜間からバギングを6時間続けている状態だと病院から連絡が入り、母はあわてて家を飛び出し、車を走らせました。

病院に到着したとき、あんじの呼吸は安定し始めていたように記憶しています。(正直、この数日間の記憶はあやふやなことが多く、判然とはしないのですが。)

母は面談室に呼ばれ、医療チームから今後のあんじの治療方針について告げられました。

まず、今の苦しさを和らげるために眠くなる薬を使用すること。そして苦しみが強いときにはモルヒネを使用すること。

また、今後は在宅で過ごすことは困難だと考えていること。

それでも、少し時間をかけて経過をみて安定したときには、病棟で母子同室で過ごすことはできるかもしれないこと。

これらを受けてまず母は、「麻酔系の薬には期待よりも懸念のほうが大きい」とドクターに伝えました。

するとドクターから、あんじの状態をよく観察した上で適正な量を投与すると諭されたため、不安を抱えながらも薬の使用を承諾しました。

そしてあんじの容態が安定したあとについて。在宅は困難とするドクターの考えを、実は一蹴するつもりでいました。

あんじが在宅で生活を送ることは難しいだなんて、とうの昔から言われてきたことです。

ゆえに、誰がなんと言おうが帰っちゃうもんね、くらいの気持ちで流していました。

それよりも、容態が安定した後にはセカンドオピニオンを受けたいと申し出たのです。

積極的な治療を望んでいました。9月に入って3回目の入院にもかかわらず、原因が判然とせず不安だったからです。

結果、この件を含めて今後のあんじの生活について話し合うため、週明けには訪問看護師やデイサービスといった関係者を招いた医療カンファレンスが予定されました。

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面談を終え、あんじの元へ戻ると、やはりバギングをしていたような気がします。このあたりの記憶はほとんどありません。

ただ、「ママ、マーボードーフ作ってきてっ」と言われたことだけは鮮明に覚えています。

いつもなら思いついた途端に食べたくて「買ってきて!」なのですが、このときは「作ってきて」。

「うん、わかった!ごはんと一緒にもってくるね!」と母は急ぎ病院を後にし、買い出しを済ませ帰宅しました。

生姜、にんにく、ニラ、豚ひき肉、絹ごし豆腐。香味野菜はこれでもかというほど細かく刻み、わが家の隠し味、五香粉を適宜。

わが家での料理といったらバタバタと吸引器やアンビューを傍らに、が常でしたが、このときばかりは手元に集中できたおかげか、いつも以上にあんじ好みの麻婆豆腐ができた気がしました。

できたての麻婆豆腐とごはんを携え病院に引き返すと、なんとあんじはぐっすりと夢の中。

おそらく薬が効いていたのでしょう。ゆっくりと眠れている姿を見れたのはいつぶりかなぁなんて、久々に穏やかな時間が流れているように感じたのを覚えています。

そのうちふと目覚めたあんじに「麻婆豆腐つくってきたよ」と母が言うと、あんじは寝ぼけ眼で「食べる~~」と食事を始めました。

ちょっと多めに持ってきたはずの麻婆豆腐は、あんじの口にどんどん吸い込まれていきます。

その食欲たるや、朝までの様子がまるで嘘かのようです。とにかくたらふく食べ、満腹になると同時に薬に負けて、またウトウト…。

最後のひとくちを口の中に残したままで、すぅっと眠りに落ちてしまいました。

その様子を目にしたドクターが「この薬を使っていてこんなに食べられるはずがないんだけどな~」なんて言うもんだから、笑っちゃいますよね。

薬の悪影響はなさそうだな、このまま快方へ向かうんだろうな。そう思わずにはいられないくらいの活力をあんじに感じました。

このときの母の心配といえば、口の中に残している食べ物が虫歯の原因にならないだろうか、くらいのものです。

これが、あんじが息を引き取る14時間ほど前の出来事。

まさか最期になるなんて。不思議なくらい、ほんの少しの予感さえもありませんでした。

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あくる朝5時。電話が鳴り、凶報が届きました。

「今、あんちゃんの心臓マッサージをしています」

瞬間、前日の別れ際のあんじの寝姿がよぎり、呼吸器ではもう安定しないこと、麻酔の使用を承諾したこと、在宅は無理だと言われたこと、この数日間の出来事が頭の中を一気に駆け巡りました。

電話を切るや否や長男と末っ子を叩き起こし、まだ薄暗い雨の中、車を走らせました。

涙でなのか雨でなのかわからないけれど視界はにじみ、心臓は早鐘を打ち、焦燥感から随分と時間が経っているような不安に襲われました。

けれども土曜の早朝のせいか車通りはまったくなく、病院までの道は不思議なほど青信号が続いたのです。

病院に着くなり時間を確認すると、電話をもらってからまだ7分しか経っていませんでした。

間に合った。家族の声を聴けばきっとあんじは頑張ってくれる。これまでのように、きっとまたびっくりするほどの回復を見せてくれる。

階段を駆け上がりながら、母は本当にそう思っていたのです。

しかしいざ、目にしたあんじは、もはや微塵の希望もないことは明白な状態でした。

自分が抱いていた期待がどれだけ過大だったかを思い知らされました。

けれど、これまでにあんじが起こしてきた奇跡を思うと、期待せずにはいられませんでした。

もう一度だけ、あんじなら乗り越えてくれるんじゃないか。

お願い、あんじ。もう一度だけ。

本来なら、胸を押すのは30分間。そこで戻らなければ、宣告するそうです。

いつもと変わらず温かいあんじの手を握ったら、まだなんとかなるんじゃないか。

もしかするとまた目を開けるんじゃないか。絶望と希望、どちらにも振り切れない思いが消せずにいました。

泣き叫んであんじに縋る母を前に、ドクターたちは、1時間近く心臓マッサージを続けてくださいました。

もしあのとき息を吹き返したとしても、すでに「あんじらしいあんじ」が戻ってくることはなかったでしょう。

でも、あのあんじなら、もしかして。ひょっとすると、あんじだったら…。

そう信じて胸を押し続けてくださったのだとしたら、ドクターたちには感謝してもしきれません。

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こうして、2021年9月18日午前6時5分。あんじは永い永い眠りに就きました。

あんじは母にとって「生の象徴」でした。あんなに小さな体でたくさんの苦しみに耐え、自分ができることには精一杯取り組む。

天真爛漫かつ傍若無人なようでいて、「だいじょうぶ?」と人の痛みに共感し心を寄せる。

それは母が成りたかった理想の人物像そのもので、あんじは憧れの女性であり、自慢の友人でもありました。

家族に残されたのは、奈落よりも深い虚無です。

呼吸器の音、酸素濃縮器の音がしないリビングは、まるで他人の家のようで落ち着きません。

毎日のように買っていた折り紙やシール、日に5回は用意していた食事の思い出は、日に日に色あせていきます。

つい2か月前に日常だった光景や習慣は、もはや面影すらありません。

記憶にはあるのに、あのときの忙しさや騒がしさ、あんじとのやりとりの感覚がどんどん薄れていくことが堪らなくやるせないです。

ただ、もうあんじには痛いことも、苦しいことも、我慢することも、悔しいことも、悲しいことも、つらいこともありません。

これだけが、唯一の救いです。

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あんじとは、いつでもどこでもずっとずっとおしゃべりをしていました。毎日飽きるほど、呆れるほど一緒にいるのに、何をそんなに話す内容があるんだというくらいに。

だから今でも、うっかりいつものように喋ってしまいます。そして大きなひとりごとを周囲に訝しまれては、あんじがいないことを実感するのです。

7月に買い替えたばかりのスロープ車は、あんじ専用の広いスペースが寒々しく広がっています。

笑いの耐えなかった杉山家の毎日には、あんじが楽しい、かわいい、嬉しい、優しい、ステキ、かっこいい、おもしろいと感動してきた事々物々であふれています。

そこに突如として訪れた「あんじがいない非日常」を生きていくことは、とてつもない試練です。

この先、きっと「あんじがいない日常」になる日がくるのかもしれませんが、今はただその日が恐いです。

それでも、生きていかないわけにはいきません。精一杯生きる方法は、わが家の「生の象徴」の生涯に学んでいるのですから。

今はまだ、あんじをまぶたの裏に浮かべては顔を溶かす日々です。しかしながら、そんな中でも笑い話にも事欠きません。

そこはやはり杉山家。なんせわれわれの人生のそこかしこに、あんじの思い出がはちきれんばかりに詰まっておりますもので。

あんじがいない風景はにじむばかりですが、なんとか家族3人、踏ん張ってまいります。

以上、乱文を失礼いたしました。

ご高覧くださいました貴方様へ。ありがとうございました。

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