2020 年もついに最終日です。昭和 58 年(1983 年)生まれの女性はようやく後厄から抜けますね。
おめでとう同朋よ。きょうはこの 1 年を振り返ってまいります。
2020年の〆は厄年への思いから
厄年の期間ってとっても長いですね。なぜ 3 年もあるのでしょうか。
どうして 3 年もの期間をセットで厄年にしてしまうのでしょうか。前厄本厄後厄って、なして畳み掛けるようにのたまうの。
石の上にもってやつですか?意志の上にもってことですか?
腹立たしい縛りに憤りを隠せませんが、兎にも角にも母、本日を以て厄年終了と相なります。
否。正確にいうと厄年終了までのこすところ約半日です。気を抜いてはなりません。
このあと友人宅に蕎麦を買いに行く予定です。車の運転には緊張感をもって臨みます。
そうそう、ちょうど昨日、ドライブレコーダーを新しく付け替えました。
どうかこれがフラグでありませぬように。
視力と知力と体力が低下した
左目の視力がとんと落ちたようです。左目のコンタクトだけ気持ち度数を上げたら、俄然見えるようになりました。
いえ、眼科の診察は受けておりません。コンタクトはいつも通販で済ませています。
そんな母がいうことではありませんが、自己判断でコンタクトの度数を変えることは
決してしてはなりません。
これは知力が低下した母だからできた荒業です。そう、知力が衰えています。
思い出せないことが増えています。記憶できないことが増えています。
如実に物語るための語彙が出てきません。うまい表現が声で発する前に煙のように消えてしまいます。
寝落ちる前の記憶がありません。行き倒れたように寝ているときがあります。
布団まで行く体力がありません。生き物としての衰えを感じます。
別れが多い年になった
もう会えなくなってしまった顔がいくつもまぶたに浮かびます。
世界でも未曾有のこの災害の中、きちんとお別れができたことだけがせめてもの救いでしょうか。
まるで嘘のような世の中なのに、あの子たちに、あいつらに会えなくなったことだけはちゃんとリアルでやるせなくなります。
「またあした」「また今度」の約束がどれだけ尊いかを思い知りました。
30にして立つどころかうずくまった
思いも寄らない激情に駆られ、他者に声を荒らげる出来事がございました。
滅多にないことなので、おのれにびっくりです。2020 年をネガティブに彩るメモリーのひとつであります。
孔子いわく 30 といったら而立(じりつ)の年です。それが母のこの未熟さときたら。
自己の見識を確立するどころか、おのれの言動を悔いてうずくまることばかりです。
そもそも而立どころか不惑も近い年だというのに、とんだ体たらくです。
厄年を抜ければ更年期の入り口。ニジューもシジューもステップアンドステップです。
さしあたってはホルモンマネジメントに努めます。2021 年はメンタルをニュートラルに。
ただ、おそらくあんじとはモメ事が絶えない予想です。
2020年、終わります
当ブログの更新回数が年々少なくなっている気がします。(実際少ない)
それに反比例するように思い出したくても思い出せないことが増えています。
ゆえに 2021 年はなんてこたぁない日常の記録をどんどん追加していきたいです。
それでは来年、厄年を無事に抜け出してからまたお目見えしたいと存じます。
画面の向こう側のあなた様へ。どうぞ、よいお年を。